ドラマ『密会(2014)』を、これほどまでに質の高いものにしたのは、演出・脚本・音楽・映像・俳優などすべてのスタッフの、“プロフェッショナル”としての高いプライドと並々ならぬ努力に他ならない。その最たるものが「リアリティの追求」だ。
ドラマ密会公式サイト
ユ・アインは天才ピアニストの演奏を完璧に演じきった
天才ピアニストが主人公のドラマにおいて、最も重要となるのが、俳優のリアルな演奏シーンだ。『密会』は、演奏シーンがかなり多いため、演出のアン・パンソク監督は、ピアノが弾ける俳優を起用すべきか、演奏シーンをCGで補えるものかずいぶん検討したらしい。しかし「演技と実際の演奏は別物」という結果に達した。そして抜擢されたユ・アインは、天才ピアニストの“演奏”を完璧に演じた。もちろんピアノ教師役のキム・ヒエも。ピアノが全く弾けなかったユ・アインは実際にピアノを猛練習し、指の動きや体の動きをマスターしていった。どうすれば自然に見えるかとリハーサルを繰り返し、様々な角度から何度も撮り直しした。ユ・アインは、「俳優としての演奏」に徹し、音楽を体で感じ、それを感情で表現することに重点を置いてピアノを練習したという。その上達の速さは専門家も驚くほどだった。
『密会』ではピアニストのパク・ジョンフンがピアノ科の教授役として出演しているが、「ユ・アインさんは、ピアノを弾く繊細な動作まで全て覚えていた。繊細な感情まで見事に表現していた。信じられない」と語っている。その教授が育てている優秀な学生役もシン・ジホというプロのピアニストだが、彼よりもユ・アインの方がピアニストのように見えたとも話している。ドラマで見せたユ・アインのダイナミックかつ繊細な演奏、恍惚とした表情、キム・ヒエとの息のあった連弾・・・それはまさに天才ピアニスト、イ・ソンジェそのものだった。
もう一組の主役、ソン・ヨンミンとキム・ソヒョン
実はあまりにも自然で分かりにくいが、手がクローズアップされるシーンやピアノの音は、「影武者」となる2人のピアニストが弾いている。ソンジェ(ユ・アイン)は、ソン・ヨンミンという若手ピアニスト。ヘウォン(キム・ヒエ)は『密会』の音楽スーパーバイザーでもあるピアニストのキム・ソヒョンだ。一体どんなピアニストなのかと気になり、ネットで検索して、出てきた画像に驚いた。
そこに写っていたのは、まさにソンジェとヘウォンだった。
ソン・ヨンミンは、オーディションを受けて、もう一人のイ・ソンジェに抜擢された。容姿がユ・アインに似ていることはもちろん、演奏でも天才ピアニストとしての実力が備わっていなければならなかった。
ソン・ヨンミンは、中学の時にロシアに留学し、ロシアのムソルグスキー国立音楽院付属英才音楽学校を首席で卒業。その後ドイツに渡り、ライプチヒ国立音楽院で演奏学博士を卒業。国際コンクールでも1位や入賞を多数受賞している、国際的に活躍しているピアニストだ。
ソン・ヨンミンは自分の演奏スタイルを捨て、ソンジェを演じきった
しかし、『密会』では、天才ピアニストの「イ・ソンジェとしての演奏」が求められた。曲線を描く手の動きで丸みのある音を出すソン・ヨンミンの演奏スタイルと、激しく強さのあるソンジェの演奏スタイルは全く違っていた。ソン・ヨンミンは自分の演奏スタイルを捨て、手の動き、感情の込め方、演奏スタイルを、ソンジェになりきるために猛練習した。ソン・ヨンミンも、ソンジェをみごとに演じきったのだ。
その彼を指導したのが、ヘウォン(キム・ヒエ)の演奏代役をしたピアニストのキム・ソヒョンだった。彼女は『密会』の音楽スーパーバイザーでもあり、ドラマのクラシック曲の選曲やアレンジを担当し、俳優たちのピアノ指導も行った。「ソンジェだったらこんな風に弾くと思う」と、短い時間の中で“ソンジェ化”する努力が積み重ねられていった。ソン・ヨンミンは「キム・ソヒョンが監督で自分が俳優のような役割だった」と語っている。
Kstyleのソン・ヨンミンのインタビューもぜひご覧いただきたい。
https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=1993476
音楽監督のイ・ナミョンの力
音楽が主役となる『密会』は、音楽監督のイ・ナミョンの力も大きい。選曲のセンスが抜群で、緊迫感のあるBGMをはじめ、心揺さぶられる名曲を創り上げている。今回のブログで語ってきた、緻密に練り上げられた「音楽の背景にある物語」もイ・ナミョンの力によるものだろう。そういえばアン・パンソク監督とタッグを組んだドラマ『よくおごってくれる綺麗なお姉さん(2018)』『ある春の夜に(2019)』の選曲もとても洒落ていた。全てが洋楽で、愛されているオールドポップスが散りばめられている。この2つに主演したチョン・ヘインは、彼の魅力が十分に発揮されていて最高だった。
『密会』は、ドラマのOSTと、ドラマで演奏されたクラシックアルバム2枚組の、2種類のCDがリリースされている。『密会』OSTのアルバムには、ソン・ヨンミンとキム・ソヒョンによるクラシック曲の演奏や、「Four Hands」「Affair(密会)」「Devotion(献身)」などのイ・ナミョンによるオリジナル曲も収録されている。ところどころにソンジェ(ユ・アイン)とヘウォン(キム・ヒエ)のセリフが挟み込まれ、臨場感を醸し出し、これも『密会』ファンにはたまらない。
クラシックアルバムは2枚組CDで、CD2の最初に演奏されているのがリストの「スペイン狂詩曲」。ソンジェ(ユ・アイン)が大学入学特別選考オーディションで演奏した曲で、超絶技巧を要するリストの難曲の中でも最も難易度が高いとされる曲のひとつだ。私はこのアルバムの「スペイン狂詩曲」を聴き、初めてピアノがこんなにも美しものかと心が震えた。まるで無数の宝石が夜空から降ってくるかのような煌めきだった。演奏はスティーヴン・ハフ。「スペイン狂詩曲」では有名なピアニストだった。
次に収録されているのは、ソンジェ(ユ・アイン)が大学の独演会で、初めてオーケストラと共演したラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲Op.43」(これはミハイル・ルディというピアニストが演奏)。約30分近い演奏で、ドラマの要所要所で演奏されていた曲の全貌がドラマティックに伝わってくる。中でも感情をいっそう高揚させる第18曲は、ロマンス映画にも使用されている有名な曲だ。私は『密会』のラストシーンで流れていたと勘違いしていたが(そう思えるような未来への希望を感じるシーンだった・・・)、ドラマを見直してみたらラストシーンの曲は、音楽監督であるイ・ナミョンのオリジナルの『Devotion(献身)』だった。その少し前に流された『Warm hearted』も含め、大きな優しさに包み込まれる、温かく美しい曲だ。この2曲は『密会』OSTに収録されている。また、ショパンの「ノクターン第17番ロ短調Op.62-1」を演奏しているのは、アルトゥール・ルービンシュタインだった。『密会』クラシックアルバムは、選曲も素晴らしいが、それを演奏するピアニストの人選も素晴らしい。どちらのアルバムも、私の至高の一枚である。
ドラマのセットにもリアリティが追求されている
「リアリティの追求」と言えば、ドラマのセットにも徹底的したこだわりが見える。例えばソンジェ(ユ・アイン)の部屋。母一人子一人で育った彼は、厳しく躾けられたので、家事などの身の回りのことも自分でやっていることが伺える。部屋には洋服が無造作にかけられ、いつもロープが張られ下着などの洗濯物が干されている。食事は自分でご飯を炊いて食べる。ロフトには前の住人が置いて行った古いピアノがあり、卵ケースを利用して防音壁にしている。楽譜はコピー用紙だ。母を亡くしたショックで、一時期ピアノも売り払い引越ししたが、またこの部屋に戻ってきた。その時の部屋の様子は、引越したままのダンボールが積み上げられている、という具合だ。薄暗い階段を登り、ネズミも出る生活感溢れる住まいがソンジェ(ユ・アイン)の“家”として描かれている。
これと対照的なのが、防音された部屋にグランドピアノがある、スタイリッシュなモデルハウスのようなヘウォン(キム・ヒエ)の暮らしだ。しかし彼女は家に帰っても仕事の延長のようだといい、ソンジェ(ユ・アイン)の“家”に居心地の良さを感じている。ドラマ『密会』では、格差社会を対比させながら、じわじわと「幸せの本質」に迫っていく。
このほかも、重要な配役の教授や学生にプロのピアニストが3人も出演している。大学でソンジェ(ユ・アイン)と一緒に五重奏を演奏したのも音楽専攻の実際の学生たちというように、音楽シーンには徹底してリアリティが追求されている。ちなみに『密会』では、ヘウォン(キム・ヒエ)の夫が「姦通罪」で妻を訴えるシーンがあったが、このドラマを通じて韓国には2015年まで「姦通罪」があったことを知った。
ユ・アインの大きな転機になった『密会』
『密会(2014)』はユ・アインにとっても大きな転機になった作品だった。『密会』のイ・ソンジェは、不良めいた学生を演じて大ブレイクしたドラマ『トキメキ成均館スキャンダル(2010)』や、映画『ワンドゥギ(2011)』『カンチョリ オカンがくれた明日(2013)』のキャラクターのような、固定化されたやんちゃな若者とも違っていた。
ユ・アインは、自分が守り抜いてきた自分のスタイルの演技をやりたいと思っていたときに、運命的に『密会』に出会った。「ソンジェは自分の好きなキャラクターだった」と語っている。ぶっきらぼうだが自分に嘘のつけないソンジェの感情や表現は驚くほどユ・アインに似ていたという。全てユ・アインの中にある姿だと感じていたようだ。『密会』は、ユ・アインを一歩先に進ませてくれた彼の代表作のひとつになった。
それ以降、彼は何かが吹っ切れたような演技を見せている。2015年、ユ・アインが出演した2つの映画(『ベテラン(2015)』『王の運命-歴史を変えた八日間-(2015)』)と大作ドラマ(『六龍が飛ぶ(2015)』)がリリースされた。3作品とも大きな話題を呼んだ素晴らしい作品で、ユ・アインは主演男優賞、最優秀演技賞など、全ての作品で数々の賞を受賞している。『密会』以降は、確固たる意思で作品を選び、完璧に役に入り込み、“憑依”したユ・アイン見せてくれているのだ。
ユ・アインは天使(イ・ソンジェ)と邪悪な男(チョ・テオ)を同時に憑依していた
しかし、あとで知ったことだが、ユ・アイン は『密会』を撮影している時に『ベテラン」も同時に撮影していた。『密会』は天使のような(ユ・アインは、そう解釈している)純粋な心を持つイ・ソンジェ、一方『ベテラン』のチョ・テオは、邪悪を絵に描いたような男。全く正反対のキャラクターだ。ユ・アインは演技に関して「自分は無意識に映画やドラマの役と融合・共存して生き始める」と語っているが、いくら名優とはいえ、まるで多重人格のように全く違う人格を同時に生きられるものだろうか・・・しかしユ・アインは、自分の中の天使と邪悪の両方を同時に引き出し、それぞれに混合されたニュアンスをあたえていたらしい・・・なんという俳優なのだろう。人間の奥底にある人格で憑依していたのだ。
『密会』に関しては、まだまだ語りたいことはあるが、きりがないのでこの辺で終わりにしたい。私の大好きなユ・アインの魅力を引き出し、クラシック音楽の楽しみを与えてくれ、ここまで夢中にさせてくれたドラマに心からの感謝を申し上げて「愛してやまない、ドラマ『密会』」の幕を下ろすことにする。コマウォヨ~!!
【Textile-Tree/成田典子】