編集長ブログ

愛してやまない、ドラマ『密会』Vol.6/ブラームスに張られた伏線

ドラマ『密会(2014)』は、セリフも登場人物も少なく、静かに淡々と描かれる。しかし中に込められている映像、音楽、演技の密度が凄い。数少ないセリフでポツリと話される本のタイトル、音楽家、あるいは演奏曲目に登場人物の心の状況が代弁されているのだ。「ブラームス」にも伏線が張られていた。

ドラマ密会公式サイト

http://c7mikkai.jp/#top

『ブラームスはお好き』って・・・

ソンジェ(ユ・アイン)とヘウォン(キム・ヒエ)が一線を超えてしまった次の日の会話に、「『ブラームスはお好き』という小説は、音楽の話かと思ったら、主人公の女性は同棲を始めるのですよ。彼氏以外の若い恋人と」と、ソンジェ(ユ・アイン)が意味ありげに話し出すシーンがある。ヘウォン(キム・ヒエ)は、慌てて遮ったが・・・『ブラームスはお好き』は、フランソワーズ・サガンの有名な小説である。『さよならをもう一度(1961)』というタイトルで映画化もされた。サガン好きだったら、この言葉の意味がよくわかるはず。中年の恋人がいる39歳のキャリアウーマンが、純粋な気持ちで積極的にアプローチしてくる25歳の青年に、次第に惹かれていくというストーリー。青年が彼女をコンサートに誘う手紙に「ブラームスはお好きですか?」と、さりげなく書いたことからこのタイトルがある。

ソンジェ(ユ・アイン)はヘウォン(キム・ヒエ)との関係が深くなったことで、自分の気持ちに抑制が効かなくなっていき、ぐいぐいと、彼女に迫りはじめていく。それを制しようとするヘウォン(キム・ヒエ)だが、ソンジェ(ユ・アイン)の愛する気持ちを隠さないストレートな言葉や行動に、ヘウォン(キム・ヒエ)はどんどん惹きつけられていくのだ。

先生への手紙だと思って聴いてください

そしてきわめつけは、ブラームス(ヨハネス・ブラームス)の「六曲のピアノ小品集Op.118、第2番インテルメッツォ」。ソンジェ(ユ・アイン)が大学の独演会で、初めてオーケストラと共演したラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲Op.43」のアンコールに選んだ曲だ。バイク便の配達人をしていた彼が、偶然にヘウォン(キム・ヒエ)夫婦と出会い、ピアノの才能を見初められ、大学で独演会までするようになったのだ。ここまでの道のりは、ヘウォン(キム・ヒエ)と二人三脚で練習を積み重ねてきた賜物だった。ヘウォン(キム・ヒエ)は彼の練習台になるために、オーケストラの代わりを務めるピアノ楽曲を必死で練習してきた。ソンジェ(ユ・アイン)は、そういう彼女への感謝と、心からの愛を込めて、このブラームスの曲を彼女に捧げたのである。12話で、ソンジェ(ユ・アイン)がヘウォン(キム・ヒエ)を想い、しっとりと“家”で弾いていたのもこの曲だった。

ではなぜ、ブラームスの「六曲のピアノ小品集Op.118、第2番インテルメッツォ」なのか?

「密会」の10話では、ソンジェが初めてオーケストラと共演した大学の独演会で、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲Op.43」が演奏された
アンコールには「先生(へウォン)への手紙です」と、ブラームスの「六曲のピアノ小品集Op.118、第2番インテルメッツォ」を選んだ
録音室でソンジェの演奏を見守るヘウォン
ソンジェのアンコール演奏をロビーのモニターで見つめるヘウォン

恩師の妻と恋愛関係にあったブラームス

クラシック音楽に通じている方は、ここでまたピンとくるはずだ。この曲は、ブラームスがクララ・シューマンに捧げたものなのだ。クララはあの作曲家のシューマン(ローベルト・シューマン)の妻であり、19世紀における最も高明なピアニストでもあった。シューマン、ブラームス、そしてクララのミステリアスな関係は、音楽界では有名な話となっている。ブラームスは、無名時代にその才能をシューマンに見出された。ブラームスにとってシューマンは大恩師であり、シューマンの忠実な弟子として最期まで尽くした。シューマンが精神を患っていた時はクララを支え、家族の面倒まで見てきた。そういう家族の一員のような関係の中で、ブラームスとクララに恋愛感情が芽生えたのだ。これがお互いプラトニックで終わったのか、「不倫」というところまで親密になったのかは定かではないようだが、お互い深く惹かれ合っていたのは確かなようだ。ちなみに、クララはブラームスより14歳年上だ。

ブラームスの話は『密会』の14話でも登場する。ヘウォン(キム・ヒエ)と夫がレストランで食事をするシーンがある。夫はヘウォン(キム・ヒエ)に会長たちの罪を被って自首をするように勧める。すでにヘウォン(キム・ヒエ)とソンジェ(ユ・アイン)の関係に気づいている夫は、「シューマンはブラームスをとても可愛がっていた」と、自分をシューマンに例えるかのように話を切り出す。ソンジェ(ユ・アイン)に対する自分の純粋な気持ちを語り、ソンジェ(ユ・アイン)は自分が面倒を見るから心配するなと話す。自分の保身しか考えない夫にヘウォン(キム・ヒエ)はヘキヘキとし、冷たく「私はクララね」と言い捨てる。

演奏終了後、緊張感がほぐれ演奏録画をノートパソコン見ているヘウォンとソンジェ

ジョルジュ・サンド とショパンの愛の魔力

音楽家の「危険な恋愛」と言えば、フランスの作家ジュルジュ・サンドとショパン(フレデリック・ショパン)の恋愛も有名だ。ジョルジュ・サンドは既婚者だが、早くから夫と別居しており、数々の有名人と浮名を流してきた恋多き女だ。ショパンより6歳年上で、30代の半ば頃から一緒に暮らしはじめ、病弱でわがままなショパンに母親のように献身的に尽くした。ショパンの「ノクターン第17番ロ短調Op.62-1」は、ジョルジュ・サンドとの破局が現実となる年に作曲されたものだ。ショパンの失意と孤独・・・鳥のさえずりのような、切なく美しい旋律の奥には、哀しみが生み出した愛の魔力があるのだろう。『密会』の最終話で演奏されていた。

別れは夢へのスタートだった

それは、ヘウォン(キム・ヒエ)が会長たちの罪を背負い自首した後、ソンジェ(ユ・アイン)がヘウォン(キム・ヒエ)の友人でもあるピアノ科の教授の研究室で会話しているシーンだった。教授はソンジェ(ユ・アイン)に、ショパンの「ノクターン第17番ロ短調Op.62-1」を弾いて聴かせる。ヘウォン(キム・ヒエ)と別れたソンジェ(ユ・アイン)には、切なさが伝わってくる・・・そして教授は「この曲で賞金を取りなさい」「ブゾーニ国際ピアノコンクールの予行練習のつもりで挑みなさい」と話し出す。ソンジュはとても驚く。ソンジェ(ユ・アイン)にアメリカの財団が支援を申し出ていることや、留学してコンクールで賞を取ることは、ヘウォン(キム・ヒエ)も望んでいることだと伝える。

短い会話ではあるが、なるほどなあと、頷いてしまう。「ジュルジュ・サンドとショパンの破局の曲を踏み台に、本命のコンクールに挑んで優勝しなさい」ということだろう。しかも賞金をしっかり取り、財団の力もしっかり利用して、先に進めとのメッセージだ。「お金の奴隷になるのではなく、お金を否定するのでもなく、金持ちのお金はしっかり利用して自分の才能を伸ばし、夢を実現していく」という、答えが導かれたのだ。ソンジェ(ユ・アイン)とヘウォン(キム・ヒエ)の別れは、夢へのスタートだった。

師匠の21歳年上女性と結婚したポゴレリチ

『密会』では、ヘウォン(キム・ヒエ)とソンジェ(ユ・アイン)の師弟関係を揶揄するように、ジュルジュ・サンドとショパンの名前や、ポゴレリチ(イーヴォ・ポゴレリチ)の名前も会話の中で挙げられている。ポゴレリチは1958年生まれのクロアチアのピアニストで、数々の国際コンクールで優勝しているコンクールのヒーローだ。私生活もピアノ演奏も型破りなことで知られており、22歳の時に師事していた43歳のピアニストのアリザ・ケゼラーゼと結婚している。ポゴレリチの演奏家人生に大きな影響を与えた女性だ。どことなくヘウォン(キム・ヒエ)とソンジェ(ユ・アイン)をイメージしてしまう。

『密会』は音楽が主役のドラマだ。そう言い切れるのは、音楽の背景にある物語まで吟味され、登場する書籍や音楽家、あるいは演奏曲目がセレクトされているからだ。ドラマでは語られていない「質の高い情報」が、細部に込められている。これを読み取るのが、この上ない喜びなのである。この密度の高い制作姿勢が、『密会』の名作たる所以だと、私は思う。

ちなみに『密会』の原案は、江國香織の小説『東京タワー』とされるが、おそらくアン・パンソク監督は20歳という年齢差にインスピレーションを得たのだろう。しかし『密会』は内容もコンセプトも『東京タワー』とは全くの別物。私は映画も見たが、残念ながら比較するにはあまりにもレベルが違いすぎた。

そして最終回は、このドラマをこれほどまでに質の高いものにした「影の主役達」を紹介したい。


【Textile-Tree/成田典子】