独占機構としての紺灰座
灰屋紹益(はいやじょうえき)の稼業である「灰屋」 が財を成した背景には、「座」という独占機構があったことを見逃してはなりません。「座」とは商品の仕入れ販売に関する特権を得ている専売同業者組合。新参者を妨げ、座外者が商売を行うと、商品を没収してしまいます。政治家と独占企業の結びつきのようなものです。
織田信長などの「楽市楽座」政策で、座は解体されてきましたが、「灰」に関しては京都では御所直轄の「紺灰座奉行」が利権を持っていました。のちに民営化されて「紺灰座」ができましたが、座衆はわずか3軒しか許されていなかったと伝えられており、そのひとつが紹益の養子先の灰屋である佐野家です。染織が盛んな京都にはたくさんの染屋がありますが、そこで使用する灰を一手に扱うとなれば、巨万の富を得るのも想像に難くありません。また、趣味人・文化人としても優れていた紹益は、養父紹由(じょうゆう)のときから天皇家や貴人たちとの親交が深く、その力の大きさが伺えます。
紺屋・紫屋・紅屋・黒染屋
江戸時代頃までの染屋は、現代のようにどんな色でも自由に染められたわけではありませんでした。制度や座によって染められる色などが決められ、いろいろ保護されていました。全国でも一番多い藍染は「紺屋」、紫根染(しこんぞめ)は「紫屋」、紅花染(べにばなぞめ)は「紅屋」、「黒染屋」などと専門の色で呼ばれていました。それぞれの染屋の色には独自の技術と工夫があり、「口伝」とされることでその技術が守られてきたものもありました。
宮本武蔵で有名になった吉岡一門と憲法染の話
そのひとつが、宮本武蔵が戦ったことでも知られる京都の吉岡一門の黒染めです。吉岡道場の名で知られる吉岡家ですが、実は武芸はあくまでも副業。本業はなんと「黒染屋」。しかも「吉岡染」「憲法染(けんぽうぞめ)」と呼ばれる、ほかの黒染屋には真似できない技術をもった全国的にも有名な黒染屋なのです。憲法染の特徴は『紺屋茶染口伝書』によると、タンニンが出る染液と、媒染剤に使う鉄分のあるおはぐろ液により「タンニン鉄」が形成され、縫い針がなかなか通らない硬い生地になるといいます。そのため「刃物に強い」と評判になり、特に武士に珍重されていました。「黒茶色」の染め色が特徴で、もしかして宮本武蔵が着ていたのも、この「憲法染」かもしれません。
この話はとても面白く、前述した澤田ふじ子の随想集『染織曼荼羅』の「憲法染覚譜(けんぽうぞめかくふ)」にも書かれています。吉岡家が主人公の長編時代小説『黒染の剣』も、染めのことがよく書かれており、染めに興味のある方にもお勧めです。ちなみに歴史小説家の澤田ふじ子は、もともと西陣の綴れ織り職人でもあったこともあり、染織の知識はもちろん、京都ならではの歴史の造詣が深く、随筆も小説も世界観が私好みです。
最終章は「灰」を生産している山の民の話です。
Textile-Tree/成田典子