素材の話

巨富を築いた「灰屋」の話Vol.4

山中で暮らす民の、灰を塩に変える話

京都にはたくさんの染屋がありました。良質な灰は高額で取引され、しかも大量の灰を必要としていました。丹波栗の灰は藍染の最高級の媒染剤として高値で取引されていたといいます。京都に運ばれる灰は灰商人に集められていました。このことを物語る話を、宮本常一の『山に生きる人びと』に見つけました。広島の山中で暮らしている人々の話です。少し要約します。

宮本常一『山に生きる人びと』 (河出文庫)

「山村で暮らす人々は、生活に不可欠な塩を手に入れるために、山の木を灰にして里に持っていっていた。良い灰というのは、紺屋で染色の色留めに使ったり、麻の皮のアク抜きに使うもの。これは若い雑木を焼いてつくったものが良い。一俵の灰をつくるために多くの労力と時間を要した。春になって木の芽の出る頃になると、人々は山に入って木を伐り、それを焼いた。共有山はどこでも煙が上がっていたという。この灰を俵に詰めて五斗ほどを一俵にする。その五斗俵一俵の灰で、二斗俵一俵の塩が買えたという。炭ならば目方も重く運ぶのに困難だが、軽くして金になる灰にして里まで持ってきて塩にかえたのは、山中に住むものの一つ工夫といえる」

「灰の良し悪しは舐めてみるとわかる。灰屋に持っていくと、番頭がまず色を見、またなめてみて価をきめる。風呂の下の灰や竈(かまど)の灰を混ぜるとすぐ見破られたという。そして悪い灰は価が安かった。これは肥料以外に利用は少なかった」

山の民のつくった良質な灰が地方の「灰屋」に集められ、京都の「灰屋紹益(はいやじょうえき)」の元に送られ、高額で染屋に販売されるという「灰ビジネス」の仕組みが垣間見られました。灰の良し悪しを見極めるプロの話もとても興味深いものがありました。

久しぶりに書いたテキスタイル関連のブログです。思わぬ力作になりました・・

Textile-Tree/成田典子