編集長ブログ

ユ・アインが向き合った2つの「低予算映画」

ユ・アインはなぜ『声もなく』に出演を決めただけで賞賛されたのか

久しぶりに韓流ブログを書く。(といっても私の韓流ブログは、新しい情報や内容の訂正などが日々アップデートされている)今回は「ユ・アインが『音もなく(2020)』への出演を決めたことに、映画評論家から大きな賞賛がおくられた」ことについて書きたい。
※『音もなく/Voice of Silence(英題)』は2022年1月21日より日本公開が決定し、邦題が『声もなく』となったために、以下の文章は『声もなく』に表記変更した。

ユ・アインが「出演を決めた」というだけで大きな賞賛を得たのは、この映画が「低予算映画」であるからだ。『声もなく(2020)』は、ホン・ウイジョン監督の長編デビュー作である。はっきりと言えば、低予算映画であるということは、出演料もかなり安いということだ。少し前までのユ・アインが出演した映画は、ビッグな興行成績を得た商業映画だったり、巨匠監督の作品だった。『ベテラン(2015)』は観客動員数1,000万人を突破し大ヒット。イ・ジュンイク監督の『思悼(サド)/邦題:王の運命-歴史を変えた八日間-(2015)』、イ・チャンドン監督の『バーニング劇場版(2018)』も、大きな話題をさらい、数々の賞を受賞した。

そういう作品に出演している勢いのあるビッグな若手俳優が、新人監督の低予算映画への出演を決めたのだ。新しいジャンルの犯罪映画で、しかもセリフが全く無い役。彼は役作りのために頭を剃り、15kg増量して体型まで変えて役に臨んだ(それも大きな話題になった)。ちなみにユ・アインは、1話のドラマの出演料が7,000万ウォン(約700万円)といわれる。韓国ドラマはだいたい16話くらいなので、1本のドラマの出演料が1億1,200万円になる。映画の制作費より高い金額だ。そのユ・アインが快く出演をOKしたというのだ。

『声もなく』の制作風景。右はホン・ウィジョン監督、中央はユ・アイン

ユ・アインは作品の魅力、ホン・ウィジョン監督の制作姿勢に惹かれた

低予算映画には、中年俳優は別として、ユ・アインのように大きな観客動員数を望める若手俳優が出演することは、めったにないことだという。もちろん出演を決めた要因は、作品の質の高さに負うところが大きい。ユ・アインは「新しい刺激を求めていた時にこの作品を知った。あまりにも実験的で怖さも感じたが、希望をあたえる創作品が大事だという考えが強くなり、ホン・ウィジョン監督が作るストーリーやメッセージの方向性に期待して出演を決めた」と話している。

ホン・ウイジョン監督は、役者や制作スタッフと同じ位置で一緒にものづくりをする監督だった。ユ・アインにとっても制作のための「共同作業」が納得のいくものであり、撮影はうまくいったようだ。映画は公開1週目に興行ランキング1位になるなど高い評価を得、ユ・アインは第41回青龍(チョンリョン)映画賞の主演男優賞を受賞。ホン・ウイジョン監督は、新人監督賞を受賞した。このことは、低予算映画やインデペンデント映画に大きな力を与えるものとなった。そういう意味でもユ・アインの功績は大きい。受賞式で、ホン・ウイジョン監督は主演のユ・アインとユ・ジェミョンに「一生の恩人」と感謝を伝えている。ユ・アインは、「いつ、どこでも、誰にでも使われる準備ができています。思い切り使ってください。これからも俳優として生きていきます」と受賞の挨拶をした。さらに、韓国のゴールデングローブ賞とも言われる第57回百想(ペクサン)芸術大賞では、ホン・ウイジョン監督は監督賞、ユ・アインは男性最優秀演技賞を受賞した。

授賞式で挨拶をするホン・ウイジョン監督。背景の画像は主演のユ・アイン (左)とユ・ジェミョン(右)
第41回青龍映画賞の授賞式で、新人監督賞を受賞したホン・ウイジョン監督
第41回青龍映画賞の授賞式で、主演男優賞を受賞したユ・アイン

ユ・アインのブランド性を嫌ったイ・ジュンイク監督の『ドンジュ 』

しかし一方で、「低予算映画」にユ・アインのような人気俳優の出演を拒む監督もいる。ユ・アインが主演した『王の運命-歴史を変えた八日間-(2015)』のイ・ジュンイク監督だ。イ・ジュンイク監督は、翌年『ドンジュ/邦題:空と風の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)(2016)』を発表する。『ドンジュ』は、韓国で愛されている詩人ユン・ドンジュの青年期を描いた映画だ。日韓併合時代、彼は日本に留学していたが、治安維持法違反容疑で逮捕され27歳という若さで福岡で獄死した。詩の素晴らしさが伝わってくる、とても美しい映像の白黒映画であるが、反日色がかなり強い。私はこの映画を通じてユン・ドンジュの詩に感動し、詩集も買った。しかし映画はあまりにも反日色が強すぎて、とても残念だった(韓国の時代劇や戦時中が舞台の映画やドラマは、反日色が強いものが多い。この辺はいつも目をつむって観ているが・・・)。

韓国民から愛されているユン・ドンジュが、映像化されるのは初めてのことだった。ユン・ドンジュがどうスクリーンに蘇ってくるかは、国民の大きな関心事になる。イメージを裏切ると命取りにもなりかねない。だからこそイ・ジュンイク監督はキャスティングにこだわった。そして素朴な詩人に「礼儀をつくす」ために、戦略的に「白黒映画」と「低予算映画」という手法を選んだという。大資本商業映画にならないように、最初から制作費を6億ウォン(6,000万円)足らずの「低予算映画」で計画したのだ。

ユ・アインは、『ドンジュ』が制作されるのを知り、直接イ・ジュンイク監督に「ユン・ドンジュの役をやりたい」と熱くオファーしたことが、監督の口から語られている。自分でも詩を書く、詩が大好きなユ・アインが、ユン・ドンジュをやりたいという気持ちはとても理解できる。痛いほどの思いが伝わってくる。ユ・アインには詩人がよく似合う。彼は完璧にユン・ドンジュになっていたはずだ。しかし監督は、ユ・アインの申し出を断った。人々にユン・ドンジュという詩人を純粋に記憶して欲しいから、ユ・アインという“ブランド”は、邪魔だった。詩人ユン・ドンジュは、「ユ・アインが演じたユン・ドンジュ」ではなく、『ユン・ドンジュを演じた俳優』となって人々の記憶に残って欲しかったからだ。

『ドンジュ/邦題:空と風の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)』のポスター。左はユン・ドンジュ役のカン・ハヌル、右はソン・モンギュ役のパク・ジョンミン。リーダー的な熱いソン・モンギュと、いつも自信なさげな優しいユン・ドンジュの雰囲気が漂っている。

ユ・アインは役に憑依し、ありのままの姿を感じて成長する

そして監督が詩人ユン・ドンジュに抜擢したのは、当時は今ほど有名ではなかったカン・ハヌルだった。カン・ハヌルは、ミュージカル界の新星として注目されていたが、実は映画デビューがイ・ジュンイク監督の『平壌(ピョンヤン)城(2010)』だった。監督はオーディションでカン・ハヌルの素質を見抜き、新人俳優の彼を重要な配役に据えた。「内面の感情スペクトルが広く、俳優としての闘志と素質が十分な役者だ」と、『平壌城(2010)』の演技を絶賛していたのだった。

ユン・ドンジュの親友で独立運動に一生を捧げたソン・モンギュ役には、映画界で注目されていたパク・ジョンミンがキャスティングされた。2人とも私の大好きな実力派の若手俳優だ。彼らはイ・ジュンイク監督の期待通り素晴らしい演技で韓国の若者たちの心を捉え、『ドンジュ (2016)』は制作費をはるかに上回る収益を上げた。カン・ハヌルは、素朴で繊細な詩人ドンジュの雰囲気をとてもよく醸し出していた。熱き青年を演じたパク・ジョンミンも良かった。2人の起用は成功だったと私も思う。パク・ジョンミンは、この演技で数々の映画賞の新人男優賞を総なめにしたが、イ・ジュンイク監督は、パク・ジョンミンの魅力と潜在能力を全部見せきれなかったことを残念に思い(私もそれは感じた)、次作の『辺山(ピョンサン)/邦題:サンセット・イン・マイ・ホームタウン(2018)』の単独主役に抜擢した。

映画やドラマのキャスティングには監督の力が大きく、「●●●を誰が演じたか」ではなく「●●●を演じた俳優」と映画史に刻まれるような、新人発掘的な価値観が求められる場合もある。ユ・アインはかなり悔しい思いをしただろうが、こういう悔しさをバネに、俳優は成長していくのだと思う。その後にユ・アインが出演した『バーニング劇場版(2018)』『声もなく(2020)』を観ると、ユ・アインは決して“ブランド”が邪魔になる俳優ではないことを証明している。スクリーンにいるのは、“ユ・アイン”ではなく、役の人物そのものにしか見えないからだ。主張しないありのままの人物を醸し出している。ユ・アインは試練を踏み台に、さらに演技の幅を広げていた。試練は、チャンスだったのだ。

2021年8月にカナダのモントリオールで開催されたファンタジア国際映画祭(北米最大のジャンル系映画祭)で、『声もなく(2020)』はシュヴァル・ノワール・コンペティションで最優秀作品賞を、ユ・アインは主演男優賞を受賞した。映画祭側は「以前観た映画とは次元が違っていた」「犯罪映画の新たな地平を切り開いた」と称賛。「彼が見せてくれたノンバーバル(von-verbal/言葉を用いない)演技は、映画のメッセージをより明確に伝え、審査委員を熱狂させた」と、セリフがまったくなく眼差しと表情だけで感情の動きを完璧に表現したユ・アインの演技を高く評価した。

まずは、ユ・アイン愛をたっぷり! ドラマ『密会(2014)』を語る前に、まずはユ・アインのことを語りたい。私の韓流熱も少し中だるみになりかけていたとき、あるネットの記事...

【Textile-Tree/成田典子】