7月に、早瀬の純造兄さんが電話で「伊勢大神楽(いせだいかぐら)が回ってきて、獅子に頭を噛んでもらった」と、嬉しそうに話してくれました。伊勢大神楽は「獅子舞や曲芸をして諸国を回っている芸能集団」程度の知識はありましたが、今でも地方を回っていることや、お正月のイメージのある獅子舞がこんな真夏に福井にやってくることを知って驚きました。
純造兄さんによると、早瀬には古くから「松井嘉太夫(まついかだゆう)」の一座(大神楽では『社中:しゃちゅう』と呼ばれています)が来ていました。「松井さん」と、町のみなさんから慕われ、毎年やって来るのを楽しみにしていたようです。しかし、後継者がいなく平成に廃業。しばらくは伊勢大神楽は途絶えていましたが、3年前より「山本源太夫(やまもとげんだゆう)」の社中が早瀬に来るようになったとのことでした。
今回の大神楽には、伊勢大神楽の研究をしている、国立民族学博物館の神野知恵(かみのちえ)さんが同行していて、渡辺家の大神楽の写真は、神野さんからお借りしました。神野さんのことは改めてご紹介したいと思います。
伊勢大神楽は以前より興味があり気になっていたので、いい機会と思い少し調べてみました。すると実に面白い芸能集団であることがわかりました。
伊勢大神楽は一般的な旅芸人とどう違うのか
365日旅する神事芸能のプロ集団
伊勢大神楽が、一般的な旅芸人やサーカスなどと大きく違うのは、ルーツが「伊勢神宮の信仰を布教する芸能集団」であることです。つまり「神事芸能」なのです。しかも、“保存会”の名目で年に数回しか演じない伝統芸能とは違い、何百年前より今もなお続いており、ほぼ365日地方のどこかの家の玄関口で獅子舞をしてお祓いを行い、放下芸(ほうかげい/曲芸のこと)で人々を楽しませている、唯一の民俗芸能の“プロ集団”なのです。これは実にすごいことです。
太夫村とお伊勢参りと伊勢講
伊勢大神楽の本拠地は、伊勢神宮のある三重県の、桑名市大字太夫にある増田神社で、「増田(益田)大明神」を守護神としています。ここはかつて「太夫村(たゆうむら)」という神職に従事していた人たちが集まっていた村で、大神楽を生業とする「神楽師」と、祈祷(きとう)などを行う「御師(おんし/おし)」の2職に大きく分かれていました。
伊勢大神楽の起源は諸説あるようですが、約450~600年前に伊勢神宮に参拝できなかった人たちのために、伊勢神宮の「お札(おふだ)/神札(しんさつ)」を持って1年に1度諸国を回ったのが始まりとされます。伊勢神宮の「代参(だいまいり/だいさん)」を引き受けるので「代神楽」とも表記されたようです。
かつて「お伊勢参り」は人々の「一生に一度の夢」でした。伊勢神宮への信仰は厚く、全国から多くの人々が必死の思いでやってきました。人とモノと情報が集まる伊勢は一大観光地として、全国の最新の市場調査ができる地として大いに賑わっていました。しかし個人で参拝できるのはほんの一握りの富裕層。ほとんどは村人が「伊勢講(いせこう)」という集団を組織して、お金を出し合い、その中の一人が旅に出るというシステムだったといいます。
御師と伊勢大神楽
「伊勢講」や「お伊勢参り」を仕切っていたのが、「御師(おんし/おし)」と呼ばれる人たちです。御師は祈祷をして布教活動を行うのが主な任務ですが、江戸時代にはお伊勢参りをする人々の宿泊、食事、観光等の世話もした「ツアーコンダクター」として勢力を広げました。彼らは日本中にお伊勢参りの大ブームを生み出した優秀なプロモーターでもあったのです。その伊勢の御師と一緒に布教活動を行っていたのが伊勢大神楽で、獅子舞や曲芸などで広告の役割を担っていました。「伊勢神宮のお使い」として、伊勢神宮に参拝できなかった人たちのために、一軒一軒の玄関口で悪魔除けの獅子神楽(獅子舞)を舞い、無病息災、家内安全などのお祓いをし、神札を授与します。伊勢大神楽の大きな役割は「お祓い」にあるのです。
「講」の話
ちなみに「講」とは、地域社会をおもな母体として、信仰、経済、職業などにおける共通目的を達成するために結ばれた集団のことで「講社」ともいいます。富士山信仰の「富士講」も有名です。職業では、大工、左官、屋根屋、鍛冶(かじ)屋などの職人によって営まれる「太子講」があります。
以前『つなぐ通信』で、諏訪の「手長神社」を取材したとき、神社の末社(まっしゃ:本社に付属した神社)に、大工・左官などの職人集団が祀っている「聖徳神社」がありました。これが「太子講」だったんですね。ユニークなことに、この神社の両脇には狛犬ではなく「鯱鉾(しゃちほこ)」が鎮座しています。大正の初め、諏訪の高島城の天守閣再建の話が持ち上がった際に、いち早く諏訪の大工衆が太子講を組織して資金を集めて制作したものです。しかし再建計画が頓挫し、日の目を見ることはありませんでした。それで聖徳神社に奉納されたという、非常に無念な経緯のある鯱鉾なのです。
話が少し横道にそれましたが・・・
それにしても伊勢大神楽は、どうして何百年も続くことができたのでしょうか・・・
続きは次回で・・・