編集長ブログ

2024新年おめでとうございます

今年の年賀状の作品『歓び』のこと

今年も青空の美しい新年を迎えました。

2024年のTextile-Treeの年賀状は、弘子姉さんの『歓び』です。小学生の頃、朝早く船に乗って親戚の家に行く時に初めて見た勇壮な「大敷網漁(おおしきあみりょう)」を作品にしたものです。真っ赤な朝焼けを浴びて、渾身の力で網を引く漁師たち。網の中で勢いよく飛び跳ねるたくさんの魚たち。魚と漁師の戦いのような、勇ましい漁の光景と朝焼けの美しさが脳裏に焼き付いて忘れることができませんでした。勢いあまり画面から飛び出している魚や漁師の太い腕からもそれがよく伝わってきます。

この作品は、大胆な構図でありながら、魚や水の表現には数種類の布を使用したり、刺子のテクニック、自作の裂織などで細やかな表現がされています。だからこそリアリティとアート性があります。何度見てもディテールに新しい発見があり、飽きることがありません。

渡辺弘子『歓び』

使用している布にも物語があります。網は小女子(こおなご)漁に使う目の細やかなもので、漁師の友人から頂いたもの。柿渋で染められており、今ではもう手に入りません。漁師の前掛けは、かつて魚屋を営んでいたお舅さんが使用していたものです。全てに意味のある布、所有者だった方の思いが込められた布が使用されています。これが弘子姉さんの作品の特徴であり、魅力なのです。

『歓び』は1991年のクロワッサン『黄金の針賞』に応募して入賞をいただいた作品です。当時『黄金の針賞』はキルトやパッチワークをする者の憧れ。弘子姉さんは布絵を始めてまだ2年くらいしか経っておらず、まさかの賞を頂いたことは大快挙であり、大きな励みとなりました。この作品は『黄金の針賞』のカレンダーにも採用され、弘子姉さんの代表作になっています。

日向の大敷網漁のこと

若狭湾の大型定置網漁は地元では「大敷網」と呼ばれる、若狭の沿岸漁業を代表する漁法です。何艘もの船とたくさんの人を要する共同漁業で、現在も美浜町の日向(ひるが)や丹生(にゅう)地区などで行われています。日向は地区の半数近い世帯が漁業に関わりを持っている典型的な漁村で、漁業者の多くは魚家民宿を営んでいます。特に「村張り定置」という、村で経営している「日向定置網漁業組合」に従事している人が多く、村総出で定置網漁を支えてきたという独特の歴史があります。海の恵みは地域を潤し、定置網量を通じた絆がとても強い漁村なのです。

『若狭の海に生きる/渡辺弘子の布絵の世界Vol.1』より

美浜町日向のことはこちらも参考にしてください。

大敷網の家元、奥村家のこと

明治末期以降の大型定置網漁は、古くからの漁場主制度があることや、定置網に多額の施設費を要するために、地元や内外の資産家や水産会社などの手によって運営されていたといいます(現在は日向定置網漁業組合が運営しています)。かつて美浜町日向では「奥村」という有名な大敷網漁の網元がおりました。

渡辺弘子『群れ』

弘子姉さんの作品にこぐり(カワハギ)の群れを描いた『群れ』があります。魚をよく知っている人ならではの数種類のこぐりが見事に表現されています。布絵の土台になっているのは近所の方から頂いた、刺子を施した藍染の大きな風呂敷。大切に使ったようで、あちこちに繕いがあり、とてもいい味わいを出しています。弘子姉さんが風呂敷の縁取りに使用したのは、大敷網漁の網元をしていた、奥村家のお身内の方から頂いたハッピの襟の部分です。「奥村組」「瀬島大敷」の文字を生かして使用しています。さすが弘子姉さん。大敷網漁の物語が作品に命を吹き込んでいます。

のんびりと夕方ごろにブログをアップしようとしたら、元旦にとんでもない地震のニュースが飛び込んできました。「新年おめでとう」の挨拶も憚れるようなスタートとなりましたが、どうぞこれ以上の悲劇が起きず、良い年になりますようにと、心より願るばかりです。