編集長ブログ

東京美浜会の「山口良治さんを偲ぶ会」

美浜町のレジェンド、山口良治氏のこと

(写真提供:藤井範久氏)

2026年10月11日(日)開催された東京美浜会では、今年5月にご逝去された「山口良治さんを偲ぶ会」を企画しました。山口良治氏(1943~2026年:83歳)は、美浜町が誇るレジェンドのひとり。西郷中(現・美浜中)、若狭農林高(現・若狭東高)、日本体育大へと進み、ラグビー日本代表選手・指導者として活躍されました。なかでも弱小チームの京都市立伏見工業高校(現・京都工学院高校)ラグビー部を率いて全国優勝を果たしたことで、日本中を驚かせました。初めての公式戦で「0対112」という屈辱的な大敗をしたチームが、6年後の1981年に全国優勝という奇跡を起こしたのです。

(資料提供:藤井範久氏)

熱血指導で生徒の心を動かし、ラグビー日本一に導いたことが、テレビドラマ『スクール★ウォーズ』(1984~85年)の物語の原型となり、日本中に大ブームを起こしました。今の時代ではコンプライアンスに引っ掛かりそうな、本気で生徒にぶつかる熱血指導です。泣きながら生徒を指導し、感動しては泣くという涙もろい山口氏は、ドラマの「泣き虫先生」のモデルとなり、一躍時の人になりました。教え子には、日本のラグビー界を代表する平尾誠二氏や大八木淳史氏、田中史朗氏など錚々たるメンバーがいます。

ドラマや映画になった『スクール・ウォーズ』(資料提供:藤井憲久氏)
(写真:朝日新聞)

藤井範久氏と山口治太郎氏が語る山口良治氏

「山口良治さんを偲ぶ会」では、伏見工業高で山口良治氏と体育教員として同僚だった藤井範久氏が、自ら作った素晴らしいパワポ資料で、1970年代当時の荒れていた学校の様子や、山口良治氏のラグビー人生、人間としての魅力、愛情溢れる教育哲学などを熱く語ってくれました。時間があまり取れなかったことが本当に申し訳ないくらいの内容でした。藤井氏は美方高校のボート部で活躍し、現在は京都ローイング協会の副会長を務めています。

東京美浜会で、山口良治氏を熱く語る藤井範久氏
(後左)伏見工業高で山口良治氏と保険・体育教員として同僚だった藤井範久氏。左の額には、「人を信じる」という教育論を貫き通した「信は力なり」が書かれている(写真提供:藤井範久氏)
藤井範久氏の父の諄一氏は、美浜町の西郷中学で山口良治氏が所属していた野球部の顧問だった(資料提供:藤井範久氏)

山口良治氏は、中学では野球部に所属し、その顧問が藤井氏の父親の藤井諄一氏。「藤井先生は私の大恩師、理想の師」と伝えるほど親子でご縁のある、とても親しい関係でした。

東京美浜会で山口良治氏のエピソードを語る、前美浜町長の山口治太郎氏
(左)若狭農林高のラグビー部で山口良治氏と一緒にプレーした山口治太郎氏、(右)美浜町が舞台となった映画『サクラサク』の田中光敏監督(写真提供:藤井範久氏)

山口良治氏は高校でも野球をしたかったのですが、進学した若狭農林高には、野球部がなく、そこで入ったのがラグビー部でした。ラグビー部の一級下には、美浜町前町長の山口治太郎氏がいました。この日、山口治太郎氏は、なかなか聞けないユニークな山口良治氏のエピソードを話してくださいました。

藤井氏も山口治太郎氏も話が上手で、人としても魅力のある方達です。笑いを誘いながらも愛情溢れるトークで、本当に楽しい偲ぶ会となりました。山口良治氏はきっと天国で、大笑いしながら喜んでいたと思います。

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Textile-Tree/成田典子