弘子姉さんの住んでいる福井県美浜町早瀬は、
若狭湾に面した風光明媚な美しいところで、
かつては漁村として、また千歯扱き(せんばこき)の
生産地として栄えた土地でもあります。
信仰心が厚く、仏事や神事などの行事も盛んで
正月の1月3日の「浜祭り」では
村の災いを祓い、豊漁豊作を祈願して
浜で弓を射る「ハツユミ」が行われます。
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・・・・『浜祭り』112×129cm:弘子姉さんの布絵の作品。
1月3日に、村の災いを祓い、豊漁豊作を祈願して浜で3本の弓が放たれます。
モデルは約15年前に代祝子(ほうり)を努めた純造兄さんです。
背景にあるのは裂き織り。本物の弓矢が使われています・・・・
この弓打ち講の正月神事は150年以上も続いており
主役となるのは、蛭子(えびす)神社の氏子から選ばれる
「代祝子(ほうり)」と呼ばれる人です。
代祝子は、宮司(ぐうじ)の代わりを努める神聖なお役で、
1年間村の神事や祭事を司ります。
代祝子となっている1年間は、身を清め、
日々のお努めはもとより
不浄なものが出ないように、家族全員で細心の注意を払います。
人口の減少により、現在は代祝子も持ち回りになっているようですが
かつては、このお役をいただくことは非常に名誉なことで
それ相応の人格者や有力者が選ばれていました。
「浜祭り」は、代祝子としての最後のお務めであり
クライマックスとなる、最高の大舞台です。
「浜祭り」が無事終了してはじめて、
代祝子としての1年間の緊張が解かれるといいます。
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・・・・蛭子神社を出る代祝子(凛々しい純造兄さん)。
白襦袢(じゅばん)に黒の狩衣(かりぎぬ)、
烏帽子(えぼし)をかぶり、左手に2mを越える弓を、
右手には矢を大きく掲げ、神社から参道を通り、浜へと降りていきます。
参道の両側は盛砂で清められています。代祝子(純造兄さん)の
後ろにいる代祝子の草履持ちの少年は、息子の彰規(あきのり)君。
中学生だった彼も今は二児のパパです・・・・
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・・・・蛭子神社で神事を終えたあとに浜に向かいます・・・・
![](https://textile-tree.com/wp-content/uploads/2013/01/RIMG00461.jpg)
・・・・蛭子神社から浜の方向を見た写真。
弘子姉さんは、右の古木の影から、浜に向かう純造兄さんの
後ろ姿に、ずっと手を合わせて祈っていました・・・・
純造兄さんも15年程前に代祝子を務め、
「浜祭り」で、矢を放ちました。
すらりと背が高く、筋肉質で贅肉ひとつないその姿は本当に凛々しく、
1年間浄化されたことを物語るような、神聖なるオーラが漂っていました。
それ以来、「浜祭り」は見ていません。
2012年は、人材不足で150年以上続いた「浜祭り」が中止になったことが
衝撃なニュースとなりました。
今年も残念なことに実現はできなかったようです。
純造兄さんや代祝子経験者たちは、
なんとか「浜祭り」が再開できるよう頑張っています。
困難を乗り越えて、ぜひ実現できることを願って止みません。
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・・・・代祝子を努め、海に向かい「悪魔矢」を放とうとする
純造兄さん。平成10年1月3日・・・・
「浜祭り」は雪になることも多い厳寒の1月3日に、片肌を脱いだ代祝子が、
「当浦へ参ろうまじきものは、天下の不浄、内外の悪神、
病むということ、風の難、日の難、千里の外へ射やろう」と大声で
最初の「悪魔矢」を1本、海に向かい放ちます。
次に「当浦へ参るべきものは、京の白河、銭、米、
七珍万宝(しっちんまんぽう)、富、幸、美濃の国の糸、綿、
当浦へおさまる」と、2本の「福矢」を家並みの上に向けて放ちます。
美濃の国の生糸や綿が福の象徴となっているのは、
時代を反映し興味深いです。
かつての豊な時代を反映しているのか、
使われる弓矢は京都の弓師に依頼した由緒あるものです。
弓は相撲の弓取り式と同じタイプ、
矢を入れる矢筒は、伊勢神宮の遷宮の儀式と同じものという具合に
非常に格調高いものを使用しています。
そういえば、7月に行われる江戸時代から続く「水無月(みなづき)祭」で
担がれる神輿も約1.5トンもある立派なものです。
早瀬は本当に小さな村ですが、歴史の重みや先人の心意気を感じる土地です。
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・・・・若狭湾の早瀬港は、まるで鏡のように穏やかな港です。
遠くへ「悪魔矢」を射る程、いい年になると言われています・・・・
![](https://textile-tree.com/wp-content/uploads/2013/01/RIMG01411.jpg)
・・・・写真家の吉川弘明さんが写した純造兄さんの代祝子姿。
(う〜ん、カッコイイ!!)。
写真集『ふるさとの景観 越前・若狭の祀り譜』に納められています・・・・
![](https://textile-tree.com/wp-content/uploads/2013/01/DSC_0303-1.jpg)
・・・・福井県立若狭歴史民俗資料館で展示されていた
「浜祭り」の神具類。中央にあるのは的(まと)です。
蛭子神社を出発する前に昨年の的が瑞垣(みずがき)の上から投げられ、
氏子たちが競ってそれを破り、断片を持ち帰ります。
断片は魔除けとして神棚や床の間に1年間飾られます・・・・
地方の人口不足は深刻で、経済が成り立っていかないので
数少ない若者も都市部へと流出しています。
今よりも物質的に貧しかった昔が
どうしてあんなにいきいきと、豊かに暮らしていたのでしょうか。
確かに早瀬は経済的にも豊かだった背景があるとはいえ、
すべてを効率とお金だけで計算してしまう
今の暮らしでは、とても理解は不可能な、
時間や手間をかけた暮らしがありました。
一銭にもならない神事や仏事に時間を費やすなど、
現代の方達には、無駄なことだと思うかもしれません。
しかし一昨年の大震災を経験したり不況が長引く中で、
祭りや神事などの持つ意味や、世代を越えた絆
効率だけでは得られない価値観が
少しずつ見直されてきたようにも思います。
きっと弘子姉さんは…
かつての早瀬の暮らしの良さを忘れないように
一生懸命「布絵」で、伝えようとしているのだと思います。
共感してくれる人がいると人は頑張ることができます。
弘子姉さんの心が途切れてしまわないように
少しだけでも「つなぐ」手伝いができればと思います。