素材の話

カトリーヌ・ド・メディシスの「メディチ・レースの秘密」Vol.-1

ザ・レースセンター原宿が主催する
アンティークレース鑑定家のダイアン・クライスさんの
レースレクチャーがありました。
今回のテーマは「カトリーヌ・ド・メディシスのレース」。
私の好きな歴史分野であり、期待も高まりましたが
期待以上のものすごいサプライズがありました!


・・・・カトリーヌ・ド・メディシス(1519〜1589)。夫亡き後は
宮廷で隠然たる政治力を発揮。フランスの王位継承のために尽力しました・・・・

イタリアの新興富豪一族メディチ家に生まれたカトリーヌ・ド・メディシスは、
1533年、14歳でフランス王フランソワ1世の第2王子、後のアンリ2世と結婚。
当時のイタリアは、ファッション、芸術、食文化などの最先端にありました。
カトリーヌ・ド・メディシスの結婚は
イタリアからフランスにレースや食のマナーや料理などをもたらし
フランスのレース産業や食文化の発展に
貢献したことでも知られています。
手づかみで食事をしていたフランスに
テーブルクロスとテーブルセンターを掛けたテーブルセッティング、
ナイフとフォークを用いる食事作法などの新しいプロトコールができ、
アイスクリームやマカロン、オムレツもイタリアから伝わりました。

16世紀頃のレースは「宝石」にも匹敵する価値のあるものです。
莫大な利益をもたらすレース産業は“国策産業”として門外不出。
ヴェネチアでは「レース職人が国外でレースを作ると死刑」
という法律があったほどです。


・・・・ネットの生地に模様をかがっていくフィレ・レース&ブラット・レース
(ダイアン・クライスさん所蔵)・・・・

カトリーヌ・ド・メディシスは、「美しい手を持っていた女性」と評されています。
メディチ家で培われた知性とエレガンスが漂い、芸術への造詣も深く
しかも優れた刺繍技術を身につけていました。
彼女がフランスにもたらした手芸は、中世からイタリアに伝わる
「ブラトー・レース」または「ブラトー・ネット」と呼ばれる白糸刺繍です。
正方形のネット状の基布に模様をかがっていく
初期のレース技術のネット刺繍で、
ルネサンスの花や動物の装飾モチーフを施します。
「カトリーヌ・ド・メディシス刺繍」という名前でも知れ渡っています。
フィレ(網目)にニードル(針)で模様を施すものもあることから
フィレ・レースとも呼ばれます。

その後カトリーヌは、イタリアから刺繍職人も呼んでおり、
ハイレベルなネット刺繍がベッドカバー、枕カバー、
カーテンなどの室内装飾に用いられ、
「ア・ラ・モード」としてフランスに広がっていきました。

実はダイアンさんは、最近凄い発見をしたのです。
オランダのレース専門家のレポートを読んでいたところ
そこにカトリーヌ・ド・メディシスが所有していた
上質のリネンで作られた16世紀の「レティセラ(初期のニードル・レース)」や
「ニードルポイント・レース」のベッドカバーが紹介されていました。
3つの大きなメダリオン飾りがあり、
その回りにはロゼット、薔薇飾りのトリミング。
ニードルポイント・レース、ボビンレース、カットワーク、アップリケなどが
ミックスされた珍しいものでした。

カトリーヌのベッドルームで、装飾用のカバーとして使用されていたものです。
レースは世界に5枚あるとされ、3枚はオランダに、1枚はイギリスに、
そしてもう1枚は、なんと日本にあるというのです。


・・・・世界で5枚しかないとされるカトリーヌ・ド・メディシスのレース
(ダイアン・クライスさん所蔵)・・・・

といって…
ダイアンさんは、カトリーヌ・ド・メディシスのレースを取り出し
広げてくれました。
そこに集まっていたみなさんからは、驚きの声が!
目の前に16世紀のメディチ家の遺産が広げられているのです。

日本にあるという、もう1枚のレースの所有者は
なんとダイアンさんだったのです。
ボビンレースの名人で、レースコレクターでもあった
ダイアンさんの祖母から譲り受けたものですが
カトリーヌ・ド・メディシスのレースと知ったのはつい最近。
その瞬間、ダイアンさんは思わず声を上げ、鳥肌が立ったといいます。


・・・・『テキスタイル用語辞典』p228「レティセラ」の解説・・・・

そして私は別の意味で、大変感動しました。
なぜなら、このレースは『テキスタイル用語辞典』に載せるために
撮影させていただいた、
見覚えのある「レティセラ」レースだったからです。
博物館クラスの歴史的なレースを辞書に載せることができたことは
本当に光栄です。

レースにはカトリーヌ・ド・メディシスの
たくさんの秘密が隠されていました。
その話しは次回のお楽しみです。