編集長ブログ

渡辺弘子の布絵の世界Vol. 2

弘子姉さんは若狭湾にある美浜町早瀬の暮らしを題材にした、
たくさんの作品を作っています。

『へしこ押し』
若狭地方は昔から「鯖」が有名です。
「鯖街道」を通じ、京都にたくさんの鯖や
若狭の海産物が運ばれました。
この鯖をぬか漬けにして保存食にした
「へしこ」とよばれる郷土料理があります。
多少癖がありますが、軽く焼いてお茶漬けにすると
やみ付きになるくらい美味しい食べ物で、私も大好きです。
NHKの朝のドラマ「ちりとてちん」でも有名になりました。
昔は多くの家で樽に漬けていたそうですが、
最近は魚屋さんや土産物屋さんでしか
手に入れる事が難しくなりました。

『鯖割り(さばわり)』
この作品は「鯖のへしこ」作りのための「鯖割り」です。
内臓をきれいに取り除き腹と表面に塩をふります。
弘子姉さんはお姑さんとよく魚を割ったそうです。
手にしているのは鯖を洗う時に使う竹で作った
「ささら」という道具です。
これを使うと魚の身を崩す事がありません。

『鯖寿し(さばずし)』
弘子姉さんは、お料理の名人です!
この鯖寿しも得意料理のひとつで、
おもてなし料理として、ことあるごとに振る舞ってくれます。
この作品は本当に「美味しそう!」です。
鯖が新鮮でキラキラ光っているのが分かります。
まだ光っている身が厚い鯖の上に板昆布をのせ、
紅ショウガの赤も効いて、とってもリアルです。
いつもの弘子姉さんの鯖ずしです。

『わかめ干し』
最近はほとんど見ることができなくなりましたが
早瀬の実家の前でもわかめや魚干しをしていました。
主人は小さい時、その側を通るたびに小さなジャコを
よくつまみ食いしていたといいます。
弘子姉さんが、そんな当時の古い写真を送ってくれました。

宗吉・ヤス2

『宗吉・ヤス』
早瀬は漁業の村ではありましたが、
天保年間から脱穀機の「千歯稲扱(せんばいなこき)」の製造が行われ
「北前船(きたまえせん)」を通じたり
明治には行商により、南九州や東北など
全国に販路を広げ、商工業の町としても栄えた所でもあります。
女性の多くが販売に従事していたといわれます。


・・・千歯稲扱・・・

大正時代になると「千歯稲扱」は「脚踏式回転稲扱」に
取って代わられ、製造されなくなりますが
その後も北前船が出入りする水産物の集散地として発展し
商店、飲食店、料亭も多く活況を呈していたといいます。
早瀬の町並みには、今でもそういう面影を残す
どこか“色っぽい”情緒があります。
『宗吉・ヤス』の作品は、そんな時代に
全国に稲扱機の行商に行っていたご主人のお祖父さんとお祖母さんの
ことを作品にしたそうです。

『暮色』
早瀬は稲扱きで一世風靡した町でもあり、
また、海産物を取扱う仲買・競売人・小売人等がいて
京都・近江・美濃・尾張までも魚類を売りさばく
漁師兼業の商人が多くいた町でもあったようです。
そういえば主人の実家もかつて
そういうことをやっていたような話しを聞いたことがあります。
小さな集落ですが、漁村のような鄙びた雰囲気ではなく
料亭の跡や、ナマコ壁の土蔵もあり、華やかし頃の面影を
今もかいま見ることができます。

この『暮色』の作品は、逢い引きでしょうか…
「早瀬橋」にたたずむカップルの
(この恥じらう女性のなんと初々しいこと…)
後ろに見える建物が、当時としては大変珍しい
木造三階建ての料亭でもある「ときわ旅館」です。
橋の反対側には「観月」という料亭もあったそうです。

弘子姉さんの嫁ぎ先の屋号「長四郎」は
魚屋を営んでいましたが
ここはちょっとしたつまみで
一杯飲めるようなところでもありました。
男衆は、ここで一杯引っかけてから料亭に行くのが
当時のスタイルで、「時待ち場所」と呼ばれていたといいます。
何ともいい響きのネーミングです。

これが昔の「早瀬橋」です。
久々子湖(くぐしこ)と若狭湾を結ぶ橋です。
「観月」は右側の橋に一番近い建物です。
この反対側に木造三階建ての「ときわ旅館」がありました。
かつては主人の実家もこの川沿いにあり
おじいさんが二階から釣り糸を垂れて
のどかに魚釣りをしている姿が描かれている作品もあります。
機会があったらお見せします。

『この夏』
若狭湾側に打ち上げられた花火です。
早瀬は下の写真のように久々子湖(くぐしこ)と若狭湾に挟まれた
風光明媚な湖口付近に集落があります。
まるで“箱庭”のような、本当に美しいところです。
いつ行っても退屈することがありません。