素材の話

『北越雪譜』と御機屋(おはたや)の話

『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』という本があります。
江戸時代に南魚沼市塩沢で
「越後縮(えちごちぢみ)」の仲買商や質屋などをし、
随筆家でもある鈴木牧之(すずきぼくし)によって
書かれたものです。
江戸に商いに来ている時、雪を珍しがる人たちを見て
雪国の話しを書いたらベストセラーになりました。

その中の越後縮を書いた項目に、
とても興味深い話があるので紹介します。
※越後縮の話は「『北越雪譜』と越後上布の話」
参照してください。
当時、縮(ちぢみ)一反(いったん)織れば、
南魚沼の米農家の年収の半分になったといいます。
(といっても一反を糸から織り上げるまでは
4〜5カ月はかかると思います)

・・・・冬は雪に閉ざされてしまう豪雪地帯。猛吹雪や雪崩で
亡くなった可哀想な話もあります。『北越雪譜』挿絵・・・・

・・・
「縮を織る処のものは娶(よめ)をえらぶにも
縮の伎(わざ)を第一とし,容儀は次とす。
このゆえに親たるものは娘の幼きより
此(この)伎を手習(てならわ)するを第一とす。
・・・

『北越雪譜』では、
嫁を選ぶには織り技術が一番で容貌は二の次。
親は娘が生まれたら、幼いときから織り技術を
教えることを一番重視しなさいと書かれています。
このようなことは、日本の織物産地はもとより、
織物や手芸文化の発達した世界各地にもありました。

村では当然のように「どこそこの娘は織物が上手」と
評判が立つので、娘たちは自分もその中に入りたいと
切磋琢磨し技術の向上に励みます。
織物上手な娘は良縁を斡旋してもらえるので
わずかな報酬でも「名誉」のために、
大変な努力を重ねるのです。

計り知れない手間と時間をかけて織り上げる「縮」は、
人を雇って合理的に織らせる織物工場では
とても採算がとれません。
手間に対して賃金を払うような賃仕事では不可能です。
雪に閉ざされた豪雪地帯の農家の婦女が
“唯一できる冬場の副業”だからこそできることなのです。
これは近江上布などにも見られた事です。

・・・・伝統工芸品に指定されている小千谷縮・・・・

そのなかに「機織りで気がふれた娘」のことを
書いた項目があります。
この娘は、初めて上等の「縮」の注文が入ったので
大変喜び、金銭は二の次にして、
糸作りから自分で始め、誰の手も借りずに
こつこつと丹誠込めて見事な「縮」を織り上げました。
最後に「雪晒し(ゆきさらし)」という
仕上げを行うために、晒し業者に出したところ
なんと、戻ってきた反物には煤(すす)のような染みが
1箇所付いていたのです。
あまりのショックに娘は気がふれてしまったという
哀れな話が挿絵とともに載せられています。

・・・・機織りで気がふれた娘の挿絵(左)。『北越雪譜』より・・・・

見事な「縮」を織り上げる事は、
金銭以上の名誉である事が「御機屋(おはたや)」という
話を読むとよくわかります。
御機屋とは、特別な時に着るような上等な「縮」を織るための
神聖な織り場の事をいいます。
織る時には家のまわりの雪かきを丁寧にして、
家の中でできるだけ煙の入らない明るい部屋を選び、
新しいムシロを敷いて、四方にしめ縄を渡し、
中央に機(はた)を置きます。
まるで神様がいるかのごとく畏(おそ)れ敬い、
織り手の他は中に入れません。
織り手は、家族とは別の火で調理したものを食べ、
機を織るときは、衣服を改め、
塩水で身を清める塩垢離(しおごり)を行い、
手を洗い、口をすすぎます。
毎日このように身を清めてから始めるといいます。

・・・・鳥居の形をした日本の手機(てばた)・・・・

以前古い機屋(はたや)さんを取材した時に、
日本の手機のたて枠は「鳥居」の形をしているのを
教えていただきました。
御機屋のことを知って、なるほどと合点がいきました。
「機には神が宿る」からでしょう。
『北越雪譜』には
「神は敬うことによって霊威を増すものだ」とあります。
ちょっとしたものでも、お守りとして敬い信じれば
霊は存在し、不思議な力を発揮するものだとし、
「御機屋の霊威」の例が挙げられていました。

御機屋は優れた織り手でなくては
建てる事ができません。
御機屋を建てる事は娘たちの憧れであり
それはまるで、身分の低いものが
殿上人(てんじょうびと)を
羨むようなことに等しいのだといいます。
機を織るということがいかに神聖な作業であり、
神の域に近づこうとするかのような
お金には代え難いもの作りのプライドがあったからこそ
日本には素晴しい織物文化が生まれたのだと
改めて実感しました。


「越後上布」は
『テキスタイル用語辞典』のコラムでも紹介しています(027P)。

【Textile-Tree/成田典子】