母の使い込んだ手ぬぐいの話

11年前、母が亡くなった時に、私は母の形見に母が使い込んでいた「手ぬぐい」を持って帰りました。きれいに洗濯してカゴの中にありましたが、色褪せたり少し茶色になっていて、かなり使い込んでいたのがわかります。母は、庭の手入れや畑仕事の時に、いつも手ぬぐいを「姉さんかぶり」にしていました。

今はあまり見なくなった「粗品の手ぬぐい」ですが、昔はお店や町内行事などでオリジナルの手ぬぐいを作って配っていました。〇〇記念とか、〇〇祭りなど、いろんな手ぬぐいがあり、広げてみるとそこには故郷の歴史がありました。

母はあちこちからいただいた手ぬぐいを、実家から送ってくれる荷物の隙間に入れてくれていましたが、お気に入りのものは、ずっと自分用に使っていたのではないかと思います。母が持っていたのは、赤い絵柄や赤い文字があったり、可愛い絵柄が描かれていたものでした。普段かぶる手ぬぐいにも女性らしいお洒落心を感じます。


⬆️大館の石田バラ園は、1960年代〜70年代に労働大臣や運輸大臣などを務めたバラ好きだった石田博英の庭園。現在は遺族から大館市にバラが寄贈され、「大館市 石田ローズガーデン」として大館市が管理しているようです。


⬆️1961年(昭和36年)に開催された秋田国体(通称:秋田まごころ国体)秋田音頭の一節と、秋田おばこが実にかわいい!


⬆️鷹巣消防団のてぬぐい。


⬆️昭和48年(1973年)に新校舎が落成された竜森(りゅうしん)小学校ですが、2009年に鷹巣南小学校に統合され、131年の歴史に幕をおろしました。

私の母のイメージは、いつも手ぬぐいを「姉さんかぶり」にして、家のことをしている姿です。割烹着や前掛けもいつも同じようなものばかりを身につけていました。母の膝枕で耳掃除をしてもらった時に、「変な匂いがする!」と言ったら怒られてしまいました。子供としては、もっときれいな格好をして欲しいと思うのですが、汚れを気にしない格好の方が気楽なのでしょう。

父も同じでした。外で畑仕事をしていると、知らない方から使用人に間違われたこともあったようです。気がついたら、今の私も家にいるときは、いつも同じようなスタイル。汚れを気にしていたら窮屈でたまりません。しかし、父も母も出かけるときは、とてもお洒落でした。割烹着や前掛けもたくさん持っていて、ちゃんとよそ行き用と日常用を使い分けていました。


⬆️鷹巣町で町民体育祭が開催されていたとは知りませんでした。今もあるのかな・・・


⬆️こけしと山があるだけの手ぬぐい。この山は岩木山かな?


⬆️野村證券の手ぬぐい。コアラがかわいい!


⬆️秋田、能代、二ツ井、鷹巣などに店舗があった衣料品のイシヤマ。「祝養老」とはどういう意味かな。敬老の日とか、70歳以上の方に差し上げたものかな?

昔の人は、ものを捨てるということはせずに、繕ったりしながらずっと使用していました。新しいのをどうして使わないのかなあ・・・なんか貧乏くさくて嫌だなあと思っていました。しかし、普段は慎ましく暮らしていても、いざという時のための「よそ行き」や「晴れ着」はちゃんと用意しているのです。お金も“いざ”という時のためにコツコツ貯めていました。それは自分たちのためだけではないのです。


⬆️手ぬぐいに母の髪の毛がついているのを発見し、蘇ってくれたような気がして、本当に嬉しく思いました。

母の日常の日々が染み込んだ手ぬぐいは、私にとって「母そのもの」であり、これは私の宝物です。人にはそういう「自分だけの宝」があると思います。「お金に換え難い」というのはまさにこのことなのだなあと、何年かぶりに母の手ぬぐいを広げてみて、しみじみそう感じました。