編集長ブログ

伊勢堂岱遺跡を訪ねて

7月8日に、秋田県北秋田市の「伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡」を訪ねました。伊勢堂岱遺跡は、今から4000年前の縄文後期に造営された大規模な祭祀遺跡です。ストーンサークル(環状列石)が4基も集中しているという、全国でも例のない遺跡として注目され、2001年に国の史跡に指定されています。米代(よねしろ)川の南側、標高45mの台地上に位置し、彼方には白神産地などの山々が一望でき、なんとも言えない澄み切った神々しい空気が流れていました。
ここは実家とも比較的近く、母が健在の時に大館能代空港の側で縄文遺跡が出たという話を聞いていましたが、当時はさほど興味もなく、それから20年近く経った今になって、無性に行きたくなったのです。

⬆️伊勢堂岱遺跡のある北秋田市脇神(わきがみ)は、旧北秋田群鷹巣町(たかのすまち)脇神。実家にも近い懐かしい地名です。


⬆️伊勢堂岱遺跡は、大館能代空港のすぐ近く。

大館能代空港は、平成10年(1998)開港されましたが、空港と国道を結ぶアクセス道路工事を行うことになり、平成4年(1992)その工事の調査中に発見されたのが伊勢堂岱遺跡でした。遺跡の存在が確認された当時は、移築をして予定通りの道路計画を押し通すつもりだったようですが、次々にストーンサークルが発見されたことから、遺跡の重要性が評価され保存の要望が高まりました。そこで当時の秋田県知事が道路計画の中止を決断し、道路を迂回させることにしました。そして発掘調査の継続と遺跡保存、そして遺跡から望む美しい景観を守るために、道路は遺跡から見えないように半地下化されるなど、景観の配慮もされた取り組みがされたのです。


⬆️伊勢堂岱遺跡の入り口には、2016年に「伊勢堂岱縄文館」がオープンし、伊勢堂岱遺跡や市内の縄文遺跡から出土した土偶・土器など約300点が展示されています。現在入館は無料(来年までのよう)で、写真撮影もOK!エントランスには大きな板状土偶がお出迎え。まずここで土偶くん(さん?)と一緒に記念写真をパチリ!


⬆️土器や動物やキノコなどの土偶も出土されています。ミュニチュアの土器もあります。何に使われたのかな?


⬆️なんといっても見所は、ユニークな人物土偶。小さいものが多く、デフォルメされたものや結構リアルなものもあります。透明ケースに入れられているので、後ろ姿も見ることができます。

 


⬆️館の入り口にあった三角の板状土偶は、実物は意外に小さく高さ19cm。伊勢堂岱遺跡から完全な形で出土した唯一の土偶で、伊勢堂岱遺跡のシンボルマークにもなっています。


⬆️顔だけの小さな土偶。妹に似ている土偶があり、身内で盛り上がりました。顔はそれぞれ個性的です。


⬆️岡本太郎の作品のような土偶。

.
⬆️宇宙人のような不思議な土偶。


⬆️これはかなり人間に近いリアルな土偶。


⬆️私のお気に入りの、ダンスしているような土偶。


⬆️有名な遮光器土偶。(目がエスキモーのかけている遮光器に似ているからこの名前があるようです)東北に多い形のようですが、北海道、関東、近畿からも出土されているといいます。それにしてもどうして同じような形や装飾の土偶が日本全国のいろんなところで見られるのかな?宇宙人説もあるようですが・・・


⬆️伊勢堂岱遺跡よりも南の「白坂(しろざか)遺跡」から発掘された「笑う岩偶」の愛称で有名な土偶。現在開催中の東京国立博物館の特別展「縄文−1万年の美の鼓動」に貸し出し中。10 月からはパリで開催される「ジャポニズム2018-特別展『縄文』」にも出展されるという人気者です!


⬆️土偶の人気投票も!マイブームで、妹に似ている土偶に3人の票を入れてしまいました!(ゴメンなさい)


⬆️伊勢堂岱遺跡に行くには、縄文館で受付けしてから行きます。遺跡までの道路が整備されて、道順に従っていくと、4つのストーンサークルの遺跡にたどり着きます。緑の中を歩く気持ちのいい散歩コース。


⬆️奥に見えるのが、伊勢堂岱縄文館です。右手にコンクリートのオブジェのようなものが見えますが、実はこれが空港建設時に中断された時の橋脚です。空港からまっすぐに伸びる道路を計画しており、すでに建設されていたものですが、遺跡保存のため道路を迂回することを決断。その英断を後世にも伝えるモニュメントとして保存されているといいます。

⬆️モニュメントとして保存されている道路建設時の橋脚。


⬆️伊勢堂岱遺跡に行くためには、縄文館で受付をして、その時に必ず「熊よけの鈴」が渡されます。2016年の遺跡公開後に熊が出没したことから、昨年6月から一般公開を中止。緩衝帯や電気柵を整備したり監視カメラを設置するなどし、今年4月から一般公開を再開。私たちが伺った7月8日はお天気もあまり良くなかったこともあるのか、私たち3人以外にお客さんの姿はなし。ちょっと緊張しながら遺跡へと向かいました。遺跡の近くには、いざという時に逃げ込める避難小屋も設置していました。


⬆️かなりリアルな電気柵。


⬆️近くには湯車(ゆぐるま)川が流れ、「縄文橋」を渡ると、縄文の世界へと・・・


⬆️ずっと続く一本道。熊が出てもおかしくないくらい、静かで空気が澄み切っていて、必死で鈴を鳴らしながら黙々と目的地へ・・・


⬆️これは縄文館にあった、縄文の伊勢堂岱遺跡を再現した模型。この場所を平成の時代に見ることに・・・


⬆️向こうには、白神産地や、田代(たしろ)岳、烏帽子(えぼし)岳、茶臼(ちゃうす)岳、藤里(ふじさと)駒ケ岳などが見えます。


⬆️伊勢堂岱遺跡には、ストーンサークルのほか、6本柱の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)もあります。倉庫や住居、祭りの施設などに利用されていたのではないかと考えられています。


⬆️この穴は何かな?土坑墓?


⬆️ストーンサークルは、特別な祈りの舞台や劇場空間だったのではないかと考えられています。親から子へと10代にわたり、200年かけて作られており、完成はされていません。どうも作り続けていることに意味があるのではないかという説も。


⬆️4つのストーンサークルが広がる大地。この日誰もいない遺跡は、本当に縄文を独り占めしたような贅沢な時間でした。それにしても遺跡発掘からの経緯を写真で見ていると、よくもここまで整備したものだと感心します。多くの方たちの努力と熱意で整備されたようです。


⬆️帰りは大館能代空港から羽田へと飛び立ちました。右下には伊勢堂岱遺跡が!

ストーンサークルが4つもある大規模な祭祀が行われていた地が、私たちの先祖の地であることに、ある意味でとても感動を覚えました。私の実家は弟で16代目で、代々この地に住んでいました。私は父の仕事の関係で、実家に住んだのは中学から。高校卒業後は東京に出てしまったので、地元のことはほとんど知りませんでした。当時は地元があまり好きではなく、地元の歴史や文化に関心もあまり持っていませんでした。しかし、今私くらいの世代が、年月を経てどんどん変わりつつある地元のこと、自分の家の歴史のことをしっかりと調べて次の世代に伝えないと、大切なことが見えなくなってしまうのではないかと思えてなりません。伊勢堂岱の縄文遺跡は、そういうことを私に教えてくれたような気がします。